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2011.06.15

本当の優しさって? その2

 
 「優しくされたい症候群」は難しいです。愛されたい、優しくされたいと、自分の心の安定を他人にお願
 いしてしまう依存体質を変えない限り、当然ながら「自立」はできない。でも依存体質を変えるには耳
 に痛いこと、厳しさを受け入れることが必要なんですけどね。

  不思議なことに、こういう人の方が結構周囲にも受け入れられて、幸せな人生を送ったりします。日
  本人は「和」を尊ぶ民族ですから、余計にそうです。でも、「和」の心って一般的にどう解釈されている
のでしょう。自己保身や無責任を動機とする見せかけの「調和」を「和」と錯覚している人が多いのでは、と考えるのは行き過ぎでしょうか。また、日本人には「判官びいき」という質もありますものね。弱い者に優しいんですよ。本当に日本人って「優」「和」「善」の民族ですよね。

私も若いころは、結構自分可愛さからうわべだけの笑顔だったり、無責任に周囲に調子を合わせたりもしてました。正直言ってどこか空しい思いがありました。更に、周囲の誰かがいがみ合っていたりすると中に入って調停役をかってみたり、問題を抱えて落ち込んでいる仲間がいると一生懸命手助けしたり、そんなことも善意から、と自分では思ってやっていました。これも、今考えると少し違うんですね。結局周囲が険悪だったり他人が不幸そうだったりするのを見ている自分が辛いから、自分の重荷を解消するために動いていたのが本当のところだと思います。根底には自分の辛さから逃げたいという自己保身、自己中が潜んでいたのです。

見ているのが辛い、というのは「優しい」からじゃないの? という反論もあると思います。私もそこのところは確信はありません。でも、可哀そう、とすぐ手を差し伸べるのが相手にとっていい時期なのか、自力で克服するのを見守る(時にはそれとなく力づけてあげる)のがいい時期なのかを考えて行動することが、相手に対する真の思いやりなのではないかと、今は考えます。全て、自分に向けるべき問題ですね。

「時期」ということで考えると、人はそれぞれ生における試練の段階が違うということにも気付きました。はたから見てあまったれさんと見える人でも、その人はその人なりに一生懸命生きている、自分なりの試練と戦っている(多分)、その人の魂はそういう時期なのですね。これは大宇宙の決定したこと、私なんぞが口出しすることではありません。

今は「乙女座」の「土星」の影響を強く受けているせいもあるのでしょうが、相手にはしっかりと向き合うようにしています。無責任なお世辞やお愛想とは無縁です。典型的な「可愛くない女」かなぁ。そのせいで、やはり感覚的な「優しさ」が好きな人には嫌われますが、仕方ないことです。

結局、本当の優しさって、相手が自分の力で自分の人生を切り開いていけるようサポートすること、でも、今自分がどうすることが相手のとって最も良いことなのかを、感情とは切り離して考えてから動くこと、だと思ます。相手にとって優しそうに見えようが見えまいが気にすることはない、要は、相手ではなく自分自身の問題だから。そういうことに落ち着きました。優しそうでないと敬遠される・・・、これにも慣れましたし・・・ね。 
 
 

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